2021/03/25
14年前から東アフリカのサバンナに通い、写真活動に取り組んでいる。現役の医師として勤務しながら遠いアフリカの地に通い続けることは膨大なエネルギーを要することだったが、すでに訪れた回数は28回に及んでいる。その原動力となったのは、私の中で湧き上がり、様々な形に変化していく「伝えたい」という“想い”であった。
初めてサバンナを訪れ、大自然の素晴らしさと自然の摂理のままに生きる動物たちの美しい姿に心打たれた時、「この感動を伝えたい」という強い“想い”が湧き上ってきた。しかし、当時の私にはその手法がなかった。絵や文章で表現する自信はなく、たまたま借り物のカメラを持っていた関係で、写真で感動を表現しようと思った。ところが、出来た写真はすべてピンボケ・・・・。初心者同然の私が初めから撮れるわけがなかったが、失敗したからこそ、「感動を伝えたい」という“想い”が強くなっていったのだと思っている。
独学で写真を学びながら通い続けて8年目、“想い”が実現する瞬間が訪れた。初めて開いた写真展会場で、多くの人から受け取った「感動した」というメッセージ。その時の喜びは計り知れないほど大きなものだった。
しかし、それ以上に嬉しかったのは、会場を後にする多くの人の「元気になれた」、「癒された」という感想であった。医の原点は“癒す”ことだと思いながらも、忙しい医療の現場で自分自身が十分に成し得ていないことに感じていたジレンマ・・・・。その“癒す”という行為が写真活動で出来ることを知った時の喜びは、感動を伝えられた以上に大きかった。以後、私の写真活動は、医療と同じ“癒す”という方向性を持ち始め、写真集の出版や写真展の開催だけでなく、医療施設における癒しの環境作りにも取り組むようになった。 しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、様々な困難に直面し、何度も諦めかけた。が、私をサバンナに駆り立て続けたのは、「感動を伝えたい」、「人の心を癒す写真が撮りたい(これは、自分自身をもっとも癒すことだと分かっていた)」という2つの強烈な“想い”であった。
サバンナに通い続け、写真活動で表現したいものが変わっていくとともに、私の医療活動にも変化が生じてきた。癒された時に自然治癒力が増していくことに興味を持った私は、西洋医学一辺倒の現代医療に疑問を持ち始め、自然治癒力を高める医療を模索し始めた。同時に、長年「やらなければ…」と想っていた“生と死”の講演活動に取り組み始めた。その原点は、20年間勤務していた大学病院で見てきた多くの死であった。病名も告げられず、最後に残された僅かな生命を延命治療のために病院のベッドの上で送らなければならない多くの日本人。その姿を見て、「医療は延命を可能にしてきたが、“生と死”を輝かせることに貢献しているのだろうか?」という疑問を持ち続けていた。この問題点を考える上で、人間社会と野生の世界という二つの異なった環境での“生と死”を、医師と自然写真家の二つの視点で見続けてきた経験はとても役立ってきたように思う。そして、サバンナで撮った自然写真は、言葉では表し難い“生命の本質”を表現するのに適しており、講演内容に具体性と想像性を与えてくれた。
今では、医師、自然写真家、生命の表現者という三つの活動を通して私の“想い”を表現しているが、これらの活動はお互いに強く影響しあいながら進化しているように思う。
そして最近、自分自身がもっとも伝いたいものが、これら個々の活動を通した“想い”を超え、全てを包括した“自分自身の生き方そのもの”だということが分かってきた。
大修館書店
雑誌 月刊「言語」
2002年8月号に掲載
初めてサバンナを訪れ、大自然の素晴らしさと自然の摂理のままに生きる動物たちの美しい姿に心打たれた時、「この感動を伝えたい」という強い“想い”が湧き上ってきた。しかし、当時の私にはその手法がなかった。絵や文章で表現する自信はなく、たまたま借り物のカメラを持っていた関係で、写真で感動を表現しようと思った。ところが、出来た写真はすべてピンボケ・・・・。初心者同然の私が初めから撮れるわけがなかったが、失敗したからこそ、「感動を伝えたい」という“想い”が強くなっていったのだと思っている。
独学で写真を学びながら通い続けて8年目、“想い”が実現する瞬間が訪れた。初めて開いた写真展会場で、多くの人から受け取った「感動した」というメッセージ。その時の喜びは計り知れないほど大きなものだった。
しかし、それ以上に嬉しかったのは、会場を後にする多くの人の「元気になれた」、「癒された」という感想であった。医の原点は“癒す”ことだと思いながらも、忙しい医療の現場で自分自身が十分に成し得ていないことに感じていたジレンマ・・・・。その“癒す”という行為が写真活動で出来ることを知った時の喜びは、感動を伝えられた以上に大きかった。以後、私の写真活動は、医療と同じ“癒す”という方向性を持ち始め、写真集の出版や写真展の開催だけでなく、医療施設における癒しの環境作りにも取り組むようになった。 しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、様々な困難に直面し、何度も諦めかけた。が、私をサバンナに駆り立て続けたのは、「感動を伝えたい」、「人の心を癒す写真が撮りたい(これは、自分自身をもっとも癒すことだと分かっていた)」という2つの強烈な“想い”であった。
サバンナに通い続け、写真活動で表現したいものが変わっていくとともに、私の医療活動にも変化が生じてきた。癒された時に自然治癒力が増していくことに興味を持った私は、西洋医学一辺倒の現代医療に疑問を持ち始め、自然治癒力を高める医療を模索し始めた。同時に、長年「やらなければ…」と想っていた“生と死”の講演活動に取り組み始めた。その原点は、20年間勤務していた大学病院で見てきた多くの死であった。病名も告げられず、最後に残された僅かな生命を延命治療のために病院のベッドの上で送らなければならない多くの日本人。その姿を見て、「医療は延命を可能にしてきたが、“生と死”を輝かせることに貢献しているのだろうか?」という疑問を持ち続けていた。この問題点を考える上で、人間社会と野生の世界という二つの異なった環境での“生と死”を、医師と自然写真家の二つの視点で見続けてきた経験はとても役立ってきたように思う。そして、サバンナで撮った自然写真は、言葉では表し難い“生命の本質”を表現するのに適しており、講演内容に具体性と想像性を与えてくれた。
今では、医師、自然写真家、生命の表現者という三つの活動を通して私の“想い”を表現しているが、これらの活動はお互いに強く影響しあいながら進化しているように思う。
そして最近、自分自身がもっとも伝いたいものが、これら個々の活動を通した“想い”を超え、全てを包括した“自分自身の生き方そのもの”だということが分かってきた。
大修館書店
雑誌 月刊「言語」
2002年8月号に掲載